8/19公開。難病だけど不幸じゃない男の物語『いつも心はジャイアント』

『いつも心はジャイアント』は不思議な映画です。難病に侵された青年が、自分を捨てた母親と再会するために得意なペタンクの大会に出て優勝をめざす……って聞くと、ああ難病ものか。可哀想な主人公が困難に立ち向かう感動ものか……みたいな想像を自動的にしてしまうけれどちょっと違う。じゃあお説教臭い話かなといえばそれも違う。

まず不思議なのが、リカルドが不幸に見えないんですね。あんなに大変そうな脳の障害があるのに。母に捨てられたのに。その母に会いたくても会えないというのに。リカルドが不幸に見えない理由ってなんだろう?と考えた時、2つのことが思い浮かびました。一つは親友のローランドがいること。この2人の関係はそれほど詳細に描写されているわけではないのだけれど、2人の間に確かな友情があることが画面から伝わってきてなんだか嬉しくなってしまう。

もう一つはリカルドの夢見る力、前進する力。リカルドが見る夢の中、彼はいつも前を向いて、上を向いて世界を開拓し、歩き続けている。それは現実の世界ではないけれど、リカルドの中に秘めた力を何度となく思い知る。そして現実の世界でもリカルドは前進する。自転車をかっ飛ばしてお母さんに会いに行くシーンは本編のハイライトのひとつ。バックにかかるテーマソングがまた良いんですよね。感動シーンにありがちな泣かせるメロディというよりは、ずんずん進むリカルドをぐいぐいと後押しするような、「俺、お母ちゃんに会いに行くぞ!大作戦」のテーマ曲!、とでも呼びたくなるような曲なのです(いまこれを書いている時にも頭にその曲が流れている)。

友情と夢見る力。これがあれば人間って不幸にはならないのかな、と本作を観ていると思う。

監督の眼差しが、また優しい。リカルドとローランドとの友情もそうだけれど、リカルドが暮らす施設の人とのやりとり、ペタンクの仲間たちの視線、母親の境遇。普通の人々と、持たざる者への眼差しが優しい。

スウェーデンは福祉国家として有名で日本でもよく話題になっているけれど、本作を観てつくづく思う。ひとつだけ日本がスウェーデンから学ぶといいなと思うこと。それは福祉は「人間は弱いものである」ということからスタートすべきだということ。生き物がいれば、一定の確率で弱い個体が生まれる。その個体を社会がどうするか。貧しい国での弱肉強食は仕方がないことだけれど、先進国はそれを選択することができる。

北欧の人は風邪をひいて仕事を休む時に「申し訳ない」なんて感覚はない、という。だってそれはしょうがないことだから。子どもが熱を出して会社を休まなきゃいけない時、子どもが障害をもって生まれてきた時に、申し訳ないと思わざるをえない社会と、「しょうがないよ生き物だもの」と思える社会とどちらがいいだろうか?

そして本作を観て、自分は今どちら側にいるのかと改めて思う。弱い人に対して”自己責任”を問えるような強い立場にいるなら、この監督のような視点を持てるようにありたいと私は思うのです。

リカルドの親友であるローランドは、この映画に笑いと力強さを与える魅力的な登場人物の一人。息するように下ネタを話し、友のために激怒し、リカルドが最高に喜ぶプレゼントを持ってくる男、ローランド。ちょっと蟹江敬三に似ているローランド。映画を観終えて、配給会社の方と話した際に「いやあ僕、もうローランドの方が心配で…」って言ってたの、わかる。ローランドって最高に良い奴だもの。リカルドとローランドがどうやってあんな信頼を築いていったのか、私はスピンオフが観たい。彼らの友情をもっと観たい。

ちなみに本作はスウェーデンのアカデミーと呼ばれるゴールデンビートル賞で作品賞をはじめ3部門で賞を獲得しています。こういう映画が大きな映画賞で作品賞をとってしまうのがすごいなあと思う。監督の眼差し、そしてリカルドやローランドのような人々に共感する人が多いということなのかな、と思うとスウェーデンという国がまた好きになってしまう。そして日本でもこの作品を多くの人が観て、こんな眼差しが広がっていったらいいなと心から思う。

さて『いつも心はジャイアント』の劇場用パンフレットに寄稿しています。本作の舞台となったヨーテボリの街のこと、ローランドのこと。そう私が旅の途中にストックホルムで打ちひしがれていた時に出合った”ローランド”の話を綴りました。ぜひ読んでいただけたら、嬉しいです。

『いつも心はジャイアント』公式サイト