9/16(土)いよいよ一般公開!サーミの少女が直面した2つの差別を描く『サーミの血』

昨年の東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞した『サーミの血』。北欧5カ国の中から最も優れた映画に贈られる最優秀ノルディック映画賞をはじめ、各国の映画祭でも受賞している話題作です。サーミとはフィンランド、スウェーデン、ノルウェーをまたぐ北極圏に暮らす先住民族のこと。かつてスウェーデンではサーミの人々に強制的な同化政策をとった時期がありました。伝統文化や言語を踏みにじり、下等な民族とみなし差別を生んだ時代。そんなスウェーデンの黒歴史に真正面から向き合ったのが本作です。


今年5月にスウェーデンを旅行していた時にちょうど上映されていて、現地の友人たちも「あれ!観なきゃ」と話していて話題になっている様子でした。ヨーテボリの映画館にて。

さて本作では2種類の差別が描かれています。ひとつめは今で言うヘイトスピーチのような憎悪を伴う差別。主人公であるサーミの少女エレ・マリャが通うことになる学校の近くには、スウェーデンの貧しい農村の暮らしがあり、エレ・マリャたちが通りかかるたび、「あいつらを仕留めてやろうか」「不潔なやつらめ」とひどい言葉でなじってきます。鬱屈した日々を送っている彼らは自分よりも弱いものにその憎しみを向けます。またエレ・マリャが言うように彼らにも「その血」が流れているかもしれない、その事実を忌み嫌い、より一層の憎悪の眼差しを向けてきます。こうした差別は、言ってみればわかりやすい差別です。ではもう一つの差別とは?

サーミの暮らしを捨て、憧れのスウェーデンでの街の暮らしになんとか溶け込みたいエレ・マリャが出会う青年ニクラスとその友人たちはみな育ちも気立ても良さそうで、ニクラスの両親のようにエレ・マリャをあからさまに避けることはなく、善意をもって自分たちの輪に迎え入れます。もちろんエレ・マリャに対して憎悪など微塵も抱いていない。みんなでともに食卓を囲み、語らい、そしてヨイクをエレ・マリャに歌わせるのです。ヨイクとはサーミの伝統的な歌。そこにあるのは興味本位の眼差しであり好奇心なのです。彼らはまるで研究対象を見るような眼差しを悪意なく自然にエレ・マリャに投げかけます。それは映画の冒頭でエレ・マリャ達を裸にし、家畜のように計測した”賢い”人たちがやっていることと根本的には同じ。自分たちがエレ・マリャたちを「受け入れてあげている」と勘違いしているのです。

要領がよく賢いエレ・マリャは、服を着替えただけであちらの世界に行けてしまう。でもそこでも彼女はずっと見られる存在であり続けます。伝統の服を脱いでも、自分に向けられるのは、見世物を観るような人々の視線。自分たちと違うもの、異質なものへの興味本位の眼差し。敬意のない好奇心。無邪気で暴力的な価値観。それを知らず知らず他者に投げかけていることに私達は気づけているだろうか? 本作を観ている間、繰り返しそう問いかけられている気がしました。年老いたエレ・マリャは、「トナカイ飼いがバイクを乗り回すなんて。彼らは自然と暮らす民族じゃないの。」という言葉を偶然耳にします。ああ、これもよくあること。自分たちが思う「サーミ人らしさ」を押し付けようとする無邪気で傲慢な人々の姿は、ともすれば自分の姿でもあるのだ、と。

ふと10年ほど前にスウェーデンで参加したダンスイベントのことを思い出しました。ストックホルムから車で2時間ほどの小さな町では毎年、本作で描かれているようなダンスパーティが開催されているんです。ニクラスみたいな青年もいて、そこら中で恋が生まれていて(ああ懐かしい)。思えば私も、そのダンスフロアでエレ・マリャに向けられていたような異質なものに対する何とも言えない眼差しに出会いました。それは、スウェーデンもまた日本のような同質社会なのだと身をもって感じた経験でした。

『サーミの血』で私が一番好きなシーンは、学校に潜り込んだエレ・マリャが、化粧をした”不良少女”たちと交流する場面です。彼女たちは歯向かってきたエレ・マリャの心意気を認めて、自分たちの仲間に入れます。果たして彼女たちは、エレ・マリャの素性を知っていたのか? 知っても受け入れたのか? それでも一緒に化粧を楽しみ「見てよ、あのダサいスカート!」と真面目ぶったクラスメイトを馬鹿にするシーンには、ダサいかダサくないかがすべてを超越する少女時代特有の感覚が甦ってニヤリとしてしまいました。 

エレ・マリャが心惹かれるニクラスが、また魅力的なキャラクターなんですよね。優柔不断で流されやすい性質のようでいて、彼の言葉や行動の端々には、ほんの少し希望がある。保守的な両親のように彼女を完全に拒絶することはできず、認め受け入れたいと葛藤する彼の姿は、新しい世代がもたらす変化をどこか感じさせます。

エレ・マリャはどんな人生を歩んだのだろう、と思う。年老いてからの髪型に、私は彼女の人生の苦さを見てしまう。それは、かつてスウェーデン語を学ばされた学校で慕っていたスウェーデン人教師とよく似た髪型だから。能天気そうな息子はどこかニクラスと似ていて、「おばあちゃん、献花しないと!」と諭す孫は妹のようで。エレ・マリャはおそらく彼女が育ってきたような良い家族を持てたのかな、とも思えます。エレ・マリャと子どもたちの姿は、本作が描く悲しい歴史にエレ・マリャが呑み込まれることはなかったのだと、希望を与えてくれる気がするのです。

それにしてもエレ・マリャよ。コーヒーにチーズを入れちゃだめ〜!それはサーミの伝統的な食べ方だから〜!バレるから〜!!

**************************
『サーミの血』公開記念初日トークイベントに登壇します!
日時:9月16日(土) 15:15の回上映終了後
会場:新宿武蔵野館
鈴木賢志さん(明治大学国際日本学部教授・一般社団法人スウェーデン社会研究所代表理事・所長)とご一緒して、舞台となった30年代のスウェーデンや、スウェーデン的考え方など、映画をより深く楽しめるようなトークをお届けします。ぜひ映画と合わせてお聴きいただけたら嬉しいです。チケットは新宿武蔵野館よりどうぞ。
『サーミの血』公式ページ