9/16(土)いよいよ一般公開!サーミの少女が直面した2つの差別を描く『サーミの血』

昨年の東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞した『サーミの血』。スウェーデンにあったサーミ民族への差別を真正面から捉えた本作は今年のトーキョーノーザンライツフェスティバルでも上映されて注目を集め、じわりじわりと日本でもその真価が広まり、一般公開を控えて著名人からの絶賛コメントも多く寄せられています。ちなみに今年5月にスウェーデンを旅行していた時にちょうど上映されていて、現地の友人たちも「あれ!観なきゃ」と話していて話題になっている様子でした。


ヨーテボリの映画館にて。

本作を観て思い出したのは、10年ほど前にスウェーデンで参加したダンスイベント。ストックホルムから車で2時間ほどのヘラングという小さな町で毎年開催されるダンスキャンプで、まさに映画で描かれているような森の中で、ダンスパーティが開催されるのですよね。そして主人公の少女、エレ・マリャが出会うニクラスみたいな青年がごろごろいて、そこら中で恋が生まれているんですよ。ああ懐かしい。本作の舞台となっている30年代に流行していたブルースやスウィングが演奏されて(本作の演奏のようなシドニー・ベシェもよくかかっていました)ファッションも当時のスタイルで、まさに本作のシーンのようでした。そしてあのダンスフロアで感じた、異質なものに対する何とも言えない眼差しも思い出しました。エレ・マリャが受けた視線とはもちろん違うだろうけれど、スウェーデンというのは日本のような同質社会なのだと初めて身をもって感じた経験だったのです。

本作では2種類の差別が描かれています。ひとつはエレ・マリャたちが通う学校の近くに暮らす農村の青年たちから受ける憎悪のような差別。「あいつらを仕留めよう」「不潔なやつらめ」と、今で言うヘイトスピーチを投げつける彼らの差別は、言ってみればわかりやすい差別です。彼らはおそらく裕福ではなく鬱屈した日々を送っていて、エレ・マリャの言うように「あなたたちにも同じ血が流れている」のかもしれない。彼らはその事実を忌み嫌い、自分たちを取り巻く環境に辟易し、自分よりも弱いものにその憎しみを向ける。そうした差別の仕組みや、それがいけないことを私達はよくわかっています。普段、私達が差別とよんでいるのは彼らの態度のようなもの。ではもう一つの差別は?

象徴的なのはニクラスの友人たち。育ちが良く気立ての良さそうな彼らは、ニクラスの両親のようにエレ・マリャをあからさまに避けることはなく、善意をもって自分たちの輪に迎え入れる。もちろんエレ・マリャに対して憎悪など微塵も抱いていない。そしてヨイクを歌わせる。そこにあるのは興味本位の眼差しであり好奇心です。まるで研究対象を見るような眼差しを悪意なく自然にエレ・マリャに投げかける。それはおそらく、映画のはじめにエレ・マリャ達を裸にし、家畜のように計測した”賢い”人たちがやっていることと根本的には同じで、冒頭のホテルでエレ・マリャが同席した人々とも同じ視線を持っています。「トナカイ飼いがバイクを乗り回すなんて。彼らは自然と暮らす民族なんじゃないの。」サーミの人々がバイクという文明を受け入れることを暗に否定し、自分たちが思う「サーミ人らしさ」を押し付ける。受け入れるのも、決めるのも、常に彼らの側なのです。

この映画で繰り返し描かれる、この2つ目の差別を私達は見過ごしてはいけない、と思う。ヘイトスピーチがいけないことは、私達はわかっている。でも自分たちと違うもの、異質なものへの興味本位の眼差しを、敬意のない好奇心を、無邪気で暴力的な価値観を、知らず知らず他者に投げかけていることに私達は気づけているだろうか?それが誰かを傷つけるかもしれないことを、私達は気づいているだろうか?

本作を観て『私のように黒い夜』という本を思い出しました。60年代に書かれたその本には、医術で皮膚を黒くした白人ジャーナリストが当時の黒人が置かれていた状況をリアルに体験する手記が綴られていて、その中に”進歩的”な白人が出てきます。彼らは自分たちの居住区に黒人たちを住まわせたり、教育を受ける権利を与えてあげていることを、自慢げに話すんです。彼らは自分たちが常に与える側であることに気づかず、それを美談のように語る。その姿は滑稽でもあり、恐ろしくもあるのです。

服を一枚、着替えただけで、あちらの世界に行けてしまうエレ・マリャ。でもそこでも彼女は見られる存在であり続ける。服を着替えても、伝統の服を脱いでもやはりそれまでと同じく見世物のように自分たちを眺める人々の視線に気づく。年老いてからの彼女の髪型はまるで、かつての学校で教えてもらったスウェーデン人教師のようで「出身はスモーランド」とうそぶく彼女の姿に、私達は彼女の人生の苦さを思い知る。

『サーミの血』で私が一番好きなシーンは、学校に潜り込んだエレ・マリャが、化粧をした”不良少女”たちと交流する場面です。彼女たちは歯向かってきたエレ・マリャの心意気を認めて、自分たちの仲間に入れる。化粧を楽しむエレ・マリャを受け入れ一緒に「見てよ、あのダサいスカート!」と真面目ぶったクラスメイトを馬鹿にする。体操の授業で遠巻きに眺めていた他の学友たちとは違って、エレ・マリャの個性を面白がり仲間として認める。もしかしたら彼女たちはあの学校ではアウトロー的な存在で、真面目で何も考えない学友たちやつまらない価値観に愛想をつかしていたのかもしれない。もしかして彼女たちは、エレ・マリャの素性を知っても受け入れたのだろうか?なんて思ってしまう。

ニクラスがまた魅力的なキャラクターで、優柔不断で流されやすい性質のようでいて、彼の言葉や行動の端々には、ほんの少し希望があるのですよね。両親のように彼女を完全に拒絶することはできず、認め受け入れたいと葛藤する彼の姿は、新しい世代がもたらす変化をどこか感じさせます。

エレ・マリャはどんな人生を歩んだのだろう、と思う。能天気そうな息子はどこかニクラスと似ていて、「おばあちゃん、献花しないと!」と諭す孫は妹のようで、エレ・マリャはおそらく彼女が育ってきたような良い家族を持てたのだろう、と思う。それは本作が描く悲しい歴史にエレ・マリャが呑み込まれることはなかったのだと、希望を与えてくれるのです。

それにしてもエレ・マリャ。コーヒーにチーズ入れちゃだめ〜!それ、バレるから〜!!

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『サーミの血』公開記念初日トークイベントに登壇します!
日時:9月16日(土) 15:15の回上映終了後
会場:新宿武蔵野館

鈴木賢志さん(明治大学国際日本学部教授・一般社団法人スウェーデン社会研究所代表理事・所長)とご一緒して、舞台となった30年代のスウェーデンや、スウェーデン的考え方など、映画をより深く楽しめるようなトークをお届けします。ぜひ映画と合わせてお聴きいただけたら嬉しいです。チケットは新宿武蔵野館よりどうぞ。

『サーミの血』公式ページ