4/28公開。癒やしゼロ、でも希望はゼロじゃないオストルンド監督最新作『ザ・スクエア 〜思いやりの聖域』

癒やされない、ほっこりしない、ストレス200%な映画がスウェーデンからやってきました!家族休暇で訪れていたアルプスで雪崩が起こり、子どもと妻をほったらかして逃げてしまったお父さんの悲劇(であり喜劇)を描いた『フレンチアルプスで起きたこと』で一躍有名になったリューベン・オストルンド監督の最新作『ザ・スクエア 思いやりの聖域』です。

カンヌ映画祭でパルムドールを獲得し、2018年アカデミー賞の外国語映画ノミネートも果たした話題の本作。今や飛ぶ鳥を落とす勢いの監督ですが、今回もオストルンド節は炸裂です。不穏に次ぐ不穏、不穏、また不穏。でも希望はゼロではない。そのバランスこそがリューベン・オストルンド監督の魅力なんです。

前回よりさらに「不穏」はエンターテイメント化されていて、150分間はあっという間に過ぎてゆきます。今回も主人公はエリート。美術館のキュレーターをつとめる、高そうなスーツがお似合いのクリスティアンは、前作の主人公に輪をかけてダメダメな決断を繰り返し、繰り返し下していきます。一人のエリートが仕事で大炎上し、プライベートでも自分が撒いた種によりトラブルに巻き込まれ転落していく様を面白がる映画、というと底意地が悪いことこの上ないのだけれど、オストルンド監督の眼差しには救いがある。果たして監督が感じさせる、この救いとはなんだろう?

映画評論家の町山智浩さんは本作に「〜世界一のなんとかツリー騒ぎを思い出して爆笑しました」と絶妙なコメントをしていたけれど、そうなのだ。私たちが生きる現実は『ザ・スクエア』よりも醜悪だ。あのPR会社の悪ノリも、思いつきだけで物事を進める組織の無責任さも既視感がある。根拠のない楽観性とその結果引き起こされる悪趣味な催しは、私たちが日々体験している現実で、炎上すれば誰かが生贄となり、それで終わり。その繰り返し。

スウェーデンをはじめ北欧は時折メディアで理想の国のように語られるけれど、そのスウェーデンで起こるこの不穏なドラマはイヤ〜なリアリティを持って、そろそろ私たちが直視しなければいけない問題を描いている。昨年公開されたスウェーデン映画『サーミの血』に、明治大学でスウェーデンの社会や仕組みを教えている鈴木賢志先生が「〜このような、いわば『自国の闇』に正面から向き合う映画を作る人々がおり、それを正当に評価する人々がいることが、スウェーデンの本当の良さ」とコメントしていたのを思い出す。『サーミの血』は自国の闇を描き、『ザ・スクエア』は現代の闇を描く。自分たちが招いたどうしようもない現実に対して、私たちはどうしたらいいのか、オストルンド監督は観客に直面させる。『ザ・スクエア』のクリスティアンも、『フレンチアルプスで起きたこと』のトマスも、主人公たちは、文字通り悪あがきをして取り返しのつかないところまで追い詰められて、やっとなんとか踏みとどまる。

150分の間、私たちは他者の悪ノリ、差別意識、決めつけとそれに流され翻弄される人、そして見て見ぬふりをする人々を見続ける。自分で撒いた種とはいえ、可哀想なクリスティアンのことを笑いながら、どこかで他人事ではないと感じながら、最後まで見届ける。まるで自分がそうなったらどうしようとシミュレーションをしているかのように。

映画は時代を映すものであるべきだ、と誰かが言っていたけれど(私もそう思う)「ザ・スクエア』はまさにいまの時代ならではの作品なのです。近年、映画もドラマもリメイクが盛んだけれど、今の時代ならではの映画とは、いまの時代を映す映画とはどんな作品だろうと改めて考えると、本作はそんな一本だな、と思う。それにしてもオストルンド監督って「悪い人じゃないんだろうけど、その人の言うことは聞かない方がいいんじゃ……」っていう感じの人物を描くのが上手い。人間ウォッチングが見事です。ちなみに携帯電話を盗まれるくだりは監督自身が実際に体験したことなんだそう。いっぱい人がいるけれど「……この中に本当に味方になってくれそうな人、いないね」っていう状況を描くのも上手い。そうか、それが現代なのか。

ちなみにザ・スクエアが置かれる美術館の撮影はストックホルム宮殿で行われたそう。他にヨーテボリとベルリンで撮影が行われたそうです。ストックホルムの街を今度訪れる時にはアベ・マリアが頭に流れて心がザワザワしてしまうかもしれません。

ザ・スクエア 思いやりの聖域』公式サイト